― 自分の思いと、相手の思いの間で

※天草 ホテルのテラスにて
「どうして、分かってくれないんだろう。」
仕事でも、家庭でも、人との関わりの中で、そんなふうに感じることがあります。
こちらは一生懸命に伝えているつもりなのに、相手には伝わらない。
何度も説明しているのに、思うように動いてもらえない。
反対に、相手から言われた一言に、
「こちらの事情も知らないで。」
と、心の中でつぶやいてしまう。
どちらも、自分なりの理由があるのでしょう。
でも、ここに一つ、気になることがあります。
「分かってほしい」と思っているとき、私たちは相手のことを、どれくらい分かろうとしているのでしょうか。
同じ出来事でも、見えているものが違う
管理職として仕事をしていた頃、私自身も、思いが伝わらず、もどかしさを感じることがありました。
「なぜ、もっと早く相談してくれなかったのか。」
「どうして、自分で考えて動いてくれないのか。」
そんな思いを抱くこともありました。
けれど、相手には相手の事情があります。
「忙しそうで、声をかけられなかった。」
「自分なりに考えてから相談しようと思っていた。」
「以前、相談したときに厳しく言われたので、ためらっていた。」
同じ出来事でも、立場が変われば見え方が違います。
自分にとっての当たり前が、相手にとっても当たり前とは限らない。
今振り返ると、相手の行動だけを見て、その背景にある思いまで十分に聴けていなかったこともあったように感じます。
「分かってほしい」が強くなるとき
人は、自分の考えや気持ちを理解してもらいたいものです。
特に、頑張っているときや、余裕がないときほど、その思いは強くなるのかもしれません。
心理学では、自分の考えに合う情報を重視し、反対の情報を受け入れにくくなる傾向を「確証バイアス」と呼びます。
例えば、
「あの人は、いつも話を聞いてくれない。」
と思い始めると、相手が聴いてくれなかった場面ばかりが印象に残ることがあります。
一方で、相手が歩み寄ろうとした場面には、気づきにくくなる。
そして、お互いに、
「自分のことを分かってくれない。」
という思いを強めてしまう。
分かってほしい気持ちが、いつの間にか相手を分かろうとする余裕を奪ってしまう。
そんなこともあるのではないでしょうか。
聴いてもらえたことと、理解してもらえたこと
最近のマネジメント研究でも、「相手の話を聴くこと」の大切さが改めて取り上げられています。
興味深いのは、話を聴く時間を増やせば、それだけで相手が満足するとは限らないということです。
相手は、ただ話を聴いてほしいのか。
一緒に考えてほしいのか。
それとも、具体的な助言を求めているのか。
そこがすれ違うと、丁寧に聴いたつもりでも、
「結局、分かってもらえなかった。」
と感じることがあります。
私も個別相談の中で、すぐに助言をするより、まず相手が何を求めているのかを確かめることを大切にしています。
「今、一番気になっていることは何ですか。」
「どんなところを分かってほしかったのでしょうか。」
そんな問いかけから、初めて見えてくる思いがあります。
聴くことは、言葉を受け取るだけではなく、その言葉の奥にある思いに目を向けること。
そこに、対話の大切さがあるように感じています。
分かり合うことは、同じ考えになることではない
人間関係の相談では、
「どうすれば、相手に分かってもらえるでしょうか。」
という話になることがあります。
けれど、どれだけ丁寧に伝えても、相手が同じ考えになるとは限りません。
育ってきた環境も、経験も、大切にしていることも違います。
だからこそ、私は、
分かり合うことと、同じ考えになることは違う
と思っています。
「私は、こう考えています。」
「あなたは、そう感じていたのですね。」
お互いの考えが違っていても、相手がそう考える理由を知ることはできます。
もちろん、無理に相手の考えを受け入れる必要はありません。
仕事であれば、意見が違っていても、必要なことを確認し、進めていかなければならない場面もあります。
大切なのは、どちらが正しいかを急いで決めることよりも、まず何が違っているのかを確かめることではないでしょうか。
日頃の小さなすれ違いを減らすために
では、日々の関わりの中で、何ができるのでしょうか。
特別な話し方を身につける前に、少し意識してみたいことがあります。
相手の話を聴きながら、すぐに自分の経験に置き換えない。
「つまり、こういうことですね。」と、理解した内容を確かめてみる。
自分の考えを伝えるときも、「私はこう感じています。」と、自分の言葉で伝える。
そして、相手がすぐに理解してくれなくても、そこで対話を終わらせない。
簡単なようで、実際には難しいことです。
私自身、いつもできているわけではありません。
それでも、
「伝えたつもり」と「伝わったこと」は違う。
このことを忘れずにいたいと思っています。
前回のコラムでは、
「話を聴いているつもりが、聴けていないとき」
について考えました。
今回は、その先にある「分かってほしい」という気持ちに目を向けてみました。
自分の思いを大切にすることは、決して悪いことではありません。
ただ、その思いが強くなったときほど、少し立ち止まってみる。
「自分は、何を分かってほしいのだろう。」
そして、
「相手は、何を分かってほしいと思っているのだろう。」
そんなふうに問い直してみる。
相手の考えをすべて理解することは難しくても、理解しようとすることはできます。
分かってもらうことだけを求めるのではなく、分かろうとすることから始めてみる。
その小さな一歩が、すれ違っていた関係を少しずつ変えていくのかもしれません。
そして、相手を理解しようとするとき、もう一つ考えてみたいことがあります。
それは、良かれと思ってかけた言葉が、相手の負担になってしまうこともあるということです。
励ましたつもりなのに、相手は追い詰められてしまう。
助言したつもりなのに、気持ちを分かってもらえなかったと感じてしまう。
次回は、
「励ましたつもりが、相手を苦しめるとき」
― 良かれと思う言葉の、その先にあるもの
について、日々の関わりを振り返りながら、少し立ち止まって考えてみたいと思います。
次回もお楽しみに。