― 良かれと思った問いの落とし穴
【シリーズ:立ち返る視点⑦ 武田信玄に学ぶ、人と組織の関わり方】

研修の場で、こんな場面に出会うことがあります。
「この場面、どうしたいと思われましたか」と問いを置いたとき、
ふと、言葉が止まってしまう瞬間です。
少し間を置いても、
視線が落ちたまま動かない。
そんな時間が、静かに流れることがあります。
問いかけたはずなのに、
どこかで「答えを求めてしまっている」ような感覚です。
そんな感覚を、
どこかで感じたことはないでしょうか。
コーチングの関わり方では、
問いはとても大切にされています。
相手の主体性を引き出す。
自分で考えるきっかけをつくる。
その意味で、
問いは確かに有効です。
けれど現場では、
こんな声も聞かれます。
「答えられなくて、苦しくなることがあるんです」
「どう考えればいいのか分からなくて」
「期待されている答えを探してしまう」
この言葉の奥には、
問いに対する戸惑いがあります。
ここで一度、
立ち止まって考えてみたいのです。
問いが悪いのではありません。
けれど、
問いが、考えるためのものではなく、
答えを求めるものに変わる瞬間があります。
例えば、
まだ整理できていないとき。
状況がつかめていないとき。
気持ちが追いついていないとき。
そんな状態で問いを受けると、
人は
考えるより先に、
正解を探す状態に入ります。
すると、
本来引き出したかった主体性が、
少し違う形で動き始めます。
無難な答えを選ぶ。
期待に合わせる。
あるいは、何も言えなくなる。
これは、
本人の力の問題ではありません。
問いと状態が合っていない。
ただそれだけのことです。
コーチングの関わり方で大切なのは、
問いの内容以上に、
問いを置く順番なのかもしれません。
整理されていないときは、
まず言葉を出す時間をつくる。
気持ちが動いていないときは、
そのままを受け止める。
そのうえで、
少しずつ問いを置いていく。
ある管理職の方が、
こんな関わりをされていました。
「どうすればいいか」ではなく、
「今、何が見えている?」と聞く。
すると、
相手の言葉が少しずつ動き始める。
そのやり取りが、
とても印象に残りました。
人は、
問いによって動くのではなく、
問いが届く状態になったときに動く。
その順番があるように感じます。
良かれと思った関わりが、
負担になることがある。
それは、
関わりが間違っているのではなく、
少しだけ“順番”が違っているのかもしれません。
人を動かそうとする前に、
その人が今、どこにいるのかを見る。
その視点に立ち返るとき、
問いは少し違う意味を持ち始めます。
次回
良かれと思った関わりが、
思わぬ負担を生んでしまうことがある。
その影響は、
受け手だけでなく、
支える側にも広がっていきます。
現場では、
誰かを支える立場の人ほど、
一人で抱えてしまう場面も少なくありません。
次回のテーマ
支える大人が、静かに孤立していくとき
― 教育現場から見えてくるもの
について、
少し立ち止まって見てみたいと思います。