立ち返る視点〈意思編〉
― 動けないのではなく、動けなくなっていることがある

「やらなければいけないのは分かっているんです」
けれど…
なぜか動けない。
そんな言葉を聞くことがあります。
以前は動けていた。考えるよりも先に行動していた。
考える力がないわけでもない。
むしろ、
真剣に考えている人ほど、
立ち止まってしまうことがあります。
人は、
怠けているから止まるわけではありません。
不安がある。
失敗したくない。
期待に応えたい。
そうした思いが重なるほど、
人は慎重になります。
そして慎重さは、
あるところを越えると、
“動けない”に変わっていきます。
今は、
選択肢が多い時代です。
情報も多い。
比べるものも多い。
「自分に合ったものを選ばなければ」
「後悔しないようにしなければ」
そう考えるほど、
人は一歩を出しにくくなることがあります。
組織、チームでは
「主体的に動いてほしい」
「自分で考えてほしい」
そう伝えているのに、
人が止まってしまう。
そこには、
能力だけでは説明できないものがあります。
例えば、
失敗しないことが優先される空気。
正解を求め続ける環境。
周りを気にしすぎる関係性。
そうしたものが重なると、
人は少しずつ、
“自分の感覚”で動けなくなっていきます。
武田信玄の言葉に、
「一生懸命だと知恵が出る。
中途半端だと愚痴が出る。
いい加減だと言い訳が出る」
というものがあります。
この言葉は、
根性論のようにも聞こえます。
けれど私は、
“動ける状態をどうつくるか”
という視点にも感じています。
人は、
責められるほど動けなくなることがあります。
逆に、
安心して考えられる。
失敗しても対話できる。
迷いを言葉にできる。
そうした関係の中で、
少しずつ動き始めることがあります。
だからこそ、
「なぜ動かないのか」を考える前に、
「なぜ動けなくなっているのか」
そこに目を向けることが、
大切なのかもしれません。
これからの〈意思編〉では、
人はなぜ迷うのか。
なぜ止まるのか。
なぜ動けなくなるのか。
その背景にあるものを、
少し立ち止まって見ていきたいと思います。