― 指導と感情が混線するとき
【シリーズ:立ち返る視点③ 武田信玄に学ぶ、人と組織の関わり方】

現場で話を聞いていると、
こんな言葉に出会うことがあります。
「注意したいことはあるんです。
でも、言い方を間違えるとハラスメントになってしまう気がして…」
「指導したつもりが、
後から“きつかった”と言われてしまって」
「だから最近は、
あまり強く言わないようにしています」
この言葉の奥には、
現場の戸惑いがにじんでいます。
叱ることが怖い。
伝えることに迷う。
言葉を選びすぎて、
結局何も言えなくなる。
そんな空気が、
職場に少しずつ広がっています。
けれど、ここで一度立ち止まって考えてみたいのです。
本当に問題なのは、
叱ることなのでしょうか。
それとも、
叱り方の前提にあるものなのでしょうか。
戦国時代の武将
武田信玄 は、
こんな言葉を残しています。
「情けは味方、仇は敵なり」
これは単なる情の話ではありません。
人は、
自分を理解してくれる人の言葉には耳を傾け、
自分を否定する人の言葉には心を閉ざす。
そんな人の心の動きを、
端的に表した言葉だと思います。
現代の職場でも、
似たことが起きています。
指導そのものよりも、
感情の受け取り方が問題になることがあります。
「自分を否定された」
「人格を責められた」
そう感じた瞬間、
言葉は指導ではなく、攻撃に変わってしまう。
すると管理職は、
叱ること自体を避けるようになります。
結果として、
現場ではこんな状況が生まれます。
問題があっても、
誰も言わない。
注意すべきことも、
遠回しになる。
その結果、
組織の中で
本当に必要な対話が減っていく。
叱ることが問題なのではありません。
問題は、
指導と感情が混線してしまうことです。
行動を伝えるはずの言葉が、
人格への評価のように聞こえてしまう。
あるいは、
相手の背景を見ないまま
結果だけを指摘してしまう。
こうした小さなズレが重なると、
叱ることそのものが
怖い行為になってしまいます。
だからこそ、
立ち返りたいのは、
関係性の土台です。
普段どんな言葉を交わしているか。
相手をどう見ているか。
日常の対話がどれだけあるか。
その土台があるとき、
指導の言葉は
“攻撃”ではなく
“支え”として届くことがあります。
叱れない職場が増えたのは、
人が弱くなったからではありません。
組織の中で、
関係の土台が見えにくくなったからかもしれません。
だからこそ、
叱り方の技術を探す前に、
もう一度立ち返りたいのです。
人をどう見ているか。
その視点に。
次回は
「指示が増えるほど、人は考えなくなる」
というテーマから、
自走を止めてしまう関わり方について、
少し考えてみたいと思います。